老いるということ

先日の自転車事件のあと、夕方5時頃、マルと散歩に出かけて戻ってきた時、鍵はかけていなかったけれどちゃんと閉めてあった玄関のドアをお尻で押し開けながら中から出てきた、例の認知症のおじいさん、両手でウチの廊下の隅に置いてあった3本立ての胡蝶蘭の鉢を抱えている… げっ! 
ちょっと〜その鉢、どうするつもりなの? あげないわよ、戻して頂戴!!
で、無事取り返して。
ね、何かご用だったの?
この間、これも持って来ちゃったから返しに来たんだよ。
脇に老人用の買い物カート。蓋を開けると買い物が収納できる、蓋を閉めれば腰掛になるというヤツである。
あら、これはウチのじゃないわよ、一体どこから持ってきちゃったの? 思い出して御覧なさい。
と言うのだけれど、お宅の前から持ってきたと言い張って聞かない。押し問答していても全く埒があかない。
仕方がないわね、じゃ、私が持ち主を探してみるから、そこへ置いて帰りなさい。もう、どこかから何かを持って帰っちゃだめよ、ご迷惑をかけるからね。
それから、心当たりに何軒か電話をかけたり、近所のデイケアサービスを尋ねまわったりしたけれどなくなったという人が見つからない。仕方なく、それは警察に拾得物として届けた、これが4月30日のことである。
で、ゴールデンウィーク明けのこと、立派な独居老人である私の元に「お変わりありませんか?」と民生委員が尋ねてきた。これは毎年のことである。その時に、ちょっとこの騒ぎのことは話しておいた方がいいだろうと思って概要を話しておいた。それからしばらくして、一旦帰った民生委員の女性があたふたと再び現れ…
「買い物カートって、オレンジ色と黒とベージュのチェック柄でしたか?」
「そうよ、その柄です。どなたかなくした方がいらっしゃいました?」
「この下の農家のおばあちゃん、玄関の中に入れておいて盗まれたんですって。」またまた、げっ!!
ウチの胡蝶蘭の時と同じだ、留守の家の玄関の中まで入り込んで、泥棒じゃないの〜 いくら認知症とは言っても、これは放っておくわけには行かないだろう。
で、余計な事ながら、再び、おじいさんの娘さんに電話して、事情を話しました。その娘さん、中学生の頃に私が3年間お勉強を見てあげたというご縁があったからでもあります。
結局のところ、長々と話した末に認知症に詳しい精神科の病院に行って相談してみるくらいのことしか出来ないかもね、という所に落ち着いたのですけれど…
ま、明日はわが身かもしれませんしね。老いるということの難しさをしみじみと考えちゃいました。考えたって考えたとおりに老いることが出来るわけでもないのだし、しょうがないことなんだけれど。