情緒か騒音か・・・

先ほど、地方版のニュースを聞いていたら、県内に、除夜の鐘の音が煩いとかなりの勢いのクレームの電話がかかるので、除夜の鐘を取りやめているお寺があるんですって。ま、そのお寺では除夜の鐘がないと寂しいというお檀家さんからの強い要望もあって、時間を昼間に移し「徐夕(じょせき)の鐘」と称して続けているらしいのですが。
除夜の鐘の音を、ゆく年を惜しむ、日本的な少しく宗教的な情緒と捉えるか、はたまた単なる騒音と捉えるか、それは個々人それぞれの問題なのでしょうけれど、世の中こんな風にクレームばやりになると一様に捉えることはなかなか難しいことのような気がいたします。
情緒というのは何かしらの心のゆとりの賜物なんでしょうし、慈しむ心とか静かに振り返ったりする心、或いは深く感謝する心の片隅に宿る感覚なのでしょう。ま、忙しくするしかない世の中にあっては情緒もへったくれもありゃしないということなのかもしれません。私のような古いタイプの人間にとっては、除夜の鐘が騒音にしか聞こえない人って、なにやら無残にお気の毒に感じてしまうのですけれど。