都会の論理・田舎の論理

今朝ほどTVを見ていたら、相も変わらずSNSでの炎上騒ぎが放送されていた。犬の散歩である。車の中からのリードにつながれた犬の散歩。しかも車が走っているのは歩道である。これは虐待に等しいと。最初は、私も、こりゃちょっとね~~とおもったのだけれど。

よくよく聞いてみると飼い主は88歳のおじいちゃま。足が悪くて、杖がないと10メートルも歩けないのだそうだ。犬は6歳だって。まだ元気な盛りだ。多分、散歩にも行きたがってねだるだろうし、おじいちゃまにしてみれば苦肉の策だったのだろうと。

取材に来たレポーターは、かなり強い調子で詰問している。虐待ではないのか、と。歩道を走るのは道路交通法違反だ、と。ちょっと居丈高な感じの悪さ…

場所は岡山県高梁市、あたりはほとんど車も通らないような、山に囲まれたのどかな場所のようだった。

おじいちゃまにはおじいちゃまの論理がある。田舎もんの論理だ。なぜ歩道を走ったのか? それもわかるような気がする。運転席は当然右側にある。運転席から犬をつないだリードを出して走れば、犬はセンターライン側を走ることになる。対向車が来ても危ないし、犬の速度に合わせて走る車にたまりかねて追い抜く車もあるだろう。それだって危険だ。ゆっくり走っていればほかの車の邪魔にもなる。で、結局のところ、おじいちゃまの選択肢は歩道になった。歩く人がいればちゃんと行き過ぎるまで止まればいい。やっぱりのどかな田舎もんの論理だ。

田舎には当然、田舎もんの暮らし方や論理がある。都会もんの正義感とは相いれない論理がある。法的にはやはり都会もんの論理のほうが当然優先するのだろうけれど…

都会もんの若い人が、これは虐待ではないのかと危惧して、おじいちゃまに注意をした。そこまではわかる。だけど、なぜその後その動画をSNSにあげたのか? どこかで自分の正義感に酔っていなかっただろうか? と、ちょっと思ったりしている。なんて書くと、これも炎上の元になるのかしら?

TVの中でコメンテーターたちが叫んでいる。道路交通法違反で○年以下の懲役か○万円以下の罰金ですねぇ、とか、年をとったらペットを手放すことも考慮しておかないと、とか。

おじいちゃまはこの犬を手放さなければならないところに追い込まれるのだろうか?誰かボランティアで時々犬の散歩を手伝ってくれる人が近くにいないものか…田舎はもう限界集落気味で年寄りばっかりだからそれも望み薄なのかしら?

SNSというものが流行りだしてから、なんだか息苦しい監視社会がやってきているような気がする。一番刺激的なところだけを切り取って繋ぎ合わせているのかもしれない動画。

それぞれが問答無用に自分の正義感を振りかざして、鵜の目鷹の目で告発のチャンスを狙っているような気がするのは私だけだろうか?

少なくとも、典型的な田舎もんの私としては、都会もんの正義を振りかざして私の生活圏の中に土足で入り込まれたくはないと思っている。ほんの少しの寛容さ、相手の事情を推測する心のありようで、もっと緩やかにお互いを思いやって暮らしていけたらいいのだけれど…

おじいちゃまと犬の、多少は不自由だとしてもそれなりのどかで平和な暮らしがなんとかもうしばらくは続くといいなぁと思っている。