漠然とした不安

大震災以降、なにか体の中にざわざわと落ち着かないものを抱えて暮らしています。原発も、日々どころか時間、時間で一進一退と、何から何まで先の見えない漠然とした不安さなのでしょうか?
何一つ被害を受けたわけではないのに…この辺りでもスーパーの棚からはお米が消え、ホームセンターは乾電池やトイレットペーパーの大袋を抱えた人たちでごった返している、そんな日常の中で様々な情報が溢れかえり、そういったことの全てが醸し出している不安さなのかしら?
体の中には、あのときの「揺れ」がまだ残っています。長周期振動を始めて経験しました…眩暈にも似た気味の悪い揺れ…住んでいるところが静岡市ですから地震の揺れにはかなり慣れているのですけれど…
原発から漏れ出す放射線の影響は、暮らしの全てを脅かし始めています。農産物・原乳・水・土壌・いずれは海産物にも及ぶ可能性も? そしてこの時間にも、生命を賭して壮絶に原発事故の終息に取り組んでいる多数の人々がいるわけで。
静岡にも浜岡原発があり、早速、原発反対運動をしている市民団体が県に対し、浜岡原発を停止するように申し入れをしたと言うニュースも流れました。それを受けて中部電力では計画されていた新しい原子炉の建設とプルサーマル計画を当面延期したようです。
かといって、私たちの暮らしは、欲望の果てに、もはや原発抜きには成立しない状態なのだろうと思われて。 
次々に起きる事象に振り回されて、集中力を欠いた日常が流れています。でも、日常が日常として成り立っている立場なのですから幸せなのだろうと…だからこそ、冷静に見極めなければならない立場なのだろうと。
しかし片や、現実には20万人を超える被災者。いったい私に何が出来るのでしょう?