老境の入り口

昨日は知人のお通夜でした。ですから、菊川での陶芸教室を早めに切り上げて、そこで着替えを済ませて浜松まで行って来ました。亡くなった知人は陶芸家で私より一つ二つ年齢が若いはずです。
帰りは東名を飛ばして帰ったのですが、いささか疲れました。気分の問題かもしれません。
帰ってきたら、ポストに一枚のハガキが入っておりました。なんと40数年ぶりの大学時代の文芸部での友人からでした。で、夜になってから電話でしばらく昔語り…
このところ、たまに思いがけなく突然の便りがやってくることがあります。それこそ40年ぶりみたいな便りです。
まぁ、60を過ぎてそれぞれが既にリタイアしているわけで、大病を潜り抜けた後だったり、昔の友人の突然の病を知らされたり、或いは訃報だったりと。
多分それぞれが、何処とはなく己の老境に直面しているということかもしれません。その、そこはかとない不安が、気持ちを昔の友に向かわせるのかもしれません。
突然の便りは、圧倒的に男性からです。多分、男性の方が女性よりもずっと精神構造がナイーヴだからなのでしょうね。女は余り過去を振り返らないように出来ているような気がします。池波正太郎さんじゃないけれど、過去も未来もなく現実的なのですね、きっと。
まぁ、いずれにもせよ訃報が飛び交う年齢に達したというわけで、「いつ、お迎えが来てもおかしくない」と言う事実が否応なしに目の前に突きつけられる瞬間を持つ年頃。かといって淡々と「死に支度」が出来るほど歳をとっているわけでもない、いかにも中途半端な「老境」の入り口で不安に駆られて戸惑っているというところでしょう。今日の延長として明日が確実にあるというわけじゃないと言うことを実感させられることが多くなっていますもの。その心境は良くわかります。私にだってそういうところは充分にありますから。(^^ゞ
「生をあきらめ死をあきらむるは佛家一大事の因縁なり」と、修証義の一節にあるような心境までにはまだまだ程遠い「覚悟できない年齢」のようです。