パンドラの箱

若いころ、アメリカの原子力空母エンタープライズ佐世保寄港に反対するデモに参加して、機動隊に催涙ガスをかけられ蹴散らされ追いかけられたことがありました。勿論原発反対運動にも参加したり、小選挙区制反対のデモにも行きましたっけ…
でも、その後は結局のところ、無批判に電気を使い散らかす生活にどっぷり浸かっているわけですから、安全神話を、どこかにかすかな不安を持ちながらも容認してそれを享受していることに他ならず、とてつもなく苦い思いがあるわけで…
福島原発問題は、震災の二次災害、撒き散らされている放射線は土壌に及び、海に及び、農業・漁業にも影響を与え、三次災害の様相を呈しています。いわば開けられたパンドラの箱。ありとあらゆる厄災が飛び出してくる…
それに対する対処法は日々アナログ化し、入浴剤を投入してどこから水漏れしているのかを調べるとか、セメントや高分子ポリマーを流しいれて水漏れを止めよう、とか…
あれは私たちの欲望そのものなのかもしれません。
「神のみぞ知る」と言って池田経済産業副大臣が大層な批判を受けましたけれど、この結末はやはり「神のみぞ知る」と言うことでしょうか… 神の領域に土足で踏み込んでしまった人間たちに下された警鐘と言うことでしょうか…そんな思いすら湧いてきます。