公務員住宅 今昔

最近、朝霞の公務員住宅の建設を巡ってのニュースがかまびすしい。復興のための5年間は凍結すると言う結論が出たとか…
何を隠そう、私も父が国立病院に勤務していたから、公務員住宅で生まれた。終戦後まもなくのことだから、当時は「官舎」と呼んでいた。その官舎、元をただせば、旧練兵場の兵舎だったという板壁のカマボコ長屋である。
1棟を中央で区切っての二軒長屋で、勿論間取りは左右対称。6畳と4畳半の二間に台所とトイレ付き、風呂なし。院長官舎だというので、特別にその中央をぶち抜いて1軒として使っていたわけだ。だから、トイレが2ヶ所、台所も2ヶ所… その片方の台所をつぶして板の間にして、父が書斎に使っていた。
病院は練兵場の跡地にあったから、父にとっては職住近接。昼になると昼食を摂りに帰ってきていたし、台風が来たりするといつも病院に詰めっきりで家には帰ってこなかった。一度だけ、帰ってきたなぁ。狩野川台風の時だっけ、途中で帰ってきて雨戸やら何やらに飛ばされないようにと釘を打ち付けてから、また病院へ戻っていった。父が帰ってきてこんなことをするなんて、どんなに大きな台風が来るのだろうと、子供心に恐ろしく感じたことを思い出す。
結局、その頃の公務員の給与は民間に比べて随分安かったから、それを補うと言う意味合いで住宅に対する補助が手厚かったのだろう。と言ってもカマボコ長屋… やれ雨が漏るの、建付けが悪いのと、しょっちゅう騒ぎがあったものだ。
で、現在の公務員住宅。隔世の感があるよねぇ。マンションだって… 公務員の給与も増えて民間を上回り、その上格安の家賃だったらやっぱりこのご時勢、槍玉に上がってもしょうがないだろう。かつての「給与の安さを補う」と言う意味を失って、既得権だけが残ったと言うことなのだろうから。