功と罪

昨日、阿部元首相が参議院選の応援演説の最中に凶弾に倒れ、亡くなられました。

銃撃? この日本で? この日本では銃撃と言えば、思い浮かぶのは暴力団の抗争くらいのもので…(まぁ、かつて長崎市長さんの銃撃事件などがありましたけれど) 阿部さんがなんで? どういう背後関係があってのことなの? と。

結局のところ、政治的な問題ではなくて、母親がある宗教に入れあげて自己破産し家庭が崩壊した、その宗教と阿部氏が深く関わっていると考えた人の、ごく個人的な恨みがその根底にあってのことだったようです。

昨日・今日とTVはそのニュース一点張り。各界の様々な人や一般人もインタビューで、しきりに阿部元首相の政治的な「功」を口を極めて語っていました。

日本人の常として、死者、それも非業の死を遂げた死者に対してはその「功」しか語りません。それが礼儀と心得ているからなのでしょう。

しかし、人は誰しも当然のことながら、その生きざまの上に大なり小なりの功罪を抱えているものです。きっと大きな立場にいる人はその功も罪も共に大きく、幸いなこと私のように「大した立場」などと言うものに程遠いものはその功も罪も大したことはないわけで、ありがたいことに他者から買ってしまう恨みも大したものではない…

非業の死を遂げたからといって、その罪を捨象して良いというものでもないはずで、そこは冷静に切り分けないといけないなぁと思っています。

明日は参議院選挙。感情的な阿部元首相の弔い合戦のような雰囲気に流されることなしに、己の意思を持って行動しないとなぁと思うわけです。

まぁ、それはそれ、かといって殺されてもいい人なんぞいるわけもなし、心よりご冥福をお祈りいたします。